お前ひまかよ

みけすんさんの頭をまとめるためのブログ

4月

 

これ見てるってことは移動中か寝起きか、そのあたりですか?

みけです。おはようございます。

 

3月とか4月とか、出会いの季節だの別れの季節だの、捻くれ者が聞くと鼻の痒くなるような言葉を使われる季節ですが、これから書くのはそういう話。

あくまで私の経験してしまったことのせいで、私がそう思ってしまうからこういう文を書いている、ということだけ忘れないでもらえたら。

 

 

私が父親に最後に会ったのは、たしか両親が離婚した年。10歳の頃。

大人の都合だったから詳しいことは知らないけど、大きな声で言える理由ではないことはその頃の齢の自分でも十分察していたね。

そういう理由だったので、ドラマとかでよくある定期的にお父さんに会えるだとかいうことは起こらなくて、私にはどうしようもすることができないお別れでした。

 

その後母親と暮らすわけだけど、私はかなりの父親っこで、自分の体のパーツで父親に似ている部分を見つめて物思いにふけることはよくあったし、数少ない昔の写真をみてこっそり泣くこともあったり、会えなくなったからといって忘れることもなく過ごしてた。夢にもよくでてきた、それは今もだけど。

これは余談だけど、父親からの父性を十分に感じないまま育ってしまったおかげで周りにおじさんたちが多い環境や、親しい人が年上であることの居心地のよさを感じるのは仕方ないことだと思ってる。笑

 

もう一生会えないかというと、亡くなったわけではないし、探し出せば会えるのだから、自分が成人して大人になって、余裕ができたら会いに行こうと思ってたの。ずーっと。大きくなりましたよ、って。一緒にタバコ吸ってビール飲める日を実現しようとぼんやり思ってたの。

 

だけどそれは実現できないものになったことを私が知るのが22歳、転職して初出勤を終えた夕方のこと。

実は父親と連絡の取れていた身内がいたんだけど、その身内に電話がかかってきたと。

それは父親本人からではなくて、父親が入院していた病院の方から。亡くなりました、と。

 

どうもならんじゃないですか。どこに住んでいて、どういう経緯でその病院にいて、なぜ亡くなって、何もわかんないで亡くなった事実だけ飛び込んでくる。悲しい寂しいではなく、よくわからない。

亡くなった父親には身寄りがなくてお葬式も仏壇も出来なくて、お墓ももちろんできず、どうやっても顔を合わせることが不可能になった。知らなかったら覚えていてほしいけど、世の中にはこういう最期を迎える人もいるんだよ。私はその時知ったけど。いや普通知らねえわ。

そのときの私ができたことなんて、亡くなった病院の、それも他県の方向の空を見て泣くことだけで、こんなやりきれないことがこれ以上あるかというくらい虚しかった。

そして、もう会えないことの実感が襲ってくる。いつか会いに行こうと思っていた自分を恨む。あほか、人は待ってくれないよ。自分が後回しにしたことで自分の首を絞めることがあることを、こんなことで身を以て学んだのね。

 

じゃあ後悔しないで生きることができるかというと、それは無理。

いつ会えなくなるかわからないんだから、なんて綺麗事じゃないですか。そんなこと咀嚼して飲み込んで理解できてる人間なんて、いるようでいないんだって。

いつもいつも会える人が自分にとって大切な人とも限らない。数年に一度だけ会える人こそ本当に大事な人かもしれない。心にずっといる人は隣に居る人じゃないかもしれない。

だから一概に、後悔しないように過ごそうねなんて言えないんだよ。

一緒にいたときにベストを尽くせるなんて絶対無理でさ、またね、って、普通そうやって次をつくるわけでさ。

 

突然のことに後悔は必ず付いてくる。

この仕方ないことからせめて救いを見つけるとすれば、こんなことがきっかけにはなってしまったけど、その人のこと自分がこれだけ大切に思っていたんだ、って気づけること。気づかされること。それは良かったことなんじゃないかなって。

その人に対する最期の気持ちが、好意的なものなら、それはそう思える自分の優しさで、自分の良いところなんじゃない?って、私は思うかな。

 

 

長々書いてたけど、悲しいものは悲しいし、嬉しいことは嬉しいし、生きてると本当に毎日心が忙しい。人生を語るにはまだ早いけど、そういうものなんだろうね。

いま誰かを大切に思える君の心が、私は好きです。

 

 

暇つぶせた?んじゃね〜